切通師範がブログで、
と書かれているのですが、
ちょっとこれ、ニュアンスが
違うんじゃないかと思います。
愛国心を「利便性」や「損得勘定」と
勘違いするような教育が行われては問題であり、
国旗に対する敬意を習慣として
身に付けさせる教育をすべきだと言っているのは
切通さんが書かれたとおりですが、
これは「愛国心」そのものを
教えるということとは違います。
正確に引き写すと、
よしりん先生はこう発言しています。
わしは国旗、「日の丸」はある程度習慣として
身につけさせなければならないものだと思っています。
今は学校から強制排除するようなおかしなことに
なっていますが、こういう状況があるからには、
ある種強制的に、意識的に日の丸を掲げて、
自分たちの習慣として根付かせていかなければ
ならないと思っています。日の丸に対する敬意は、
自分たちの結束点でもあるし、
国家、天皇にもつながっていきますからね。
愛国心を教えることは確かに難しいことだし、
共同体から感覚を芽生えさせて習慣を育てていく。
どんなに日本が無残な状態になっても、
そこから自分たちの国を何とかしようと思える
感覚が沸き起こるようにしなければいけないと
思っています。
(『ゴー宣道場』WAC出版 P51~52)
まず「習慣」をつけさせること、
愛国心はその習慣の中から
感覚として沸き起こるようにするしかない
と言っているわけで、
結果的に愛国心を持ってほしいとは
願っていますが、
愛国心そのものを学校教育で
教えるということとは違うと思います。
かなり微妙な話なのですが、
ちょっと誤解を生みかねないと思いましたので、
僭越ながら指摘させていただきました。